「来年の今頃、1人になっているかもしれない…」。
ふいに"離婚"の匂いを感じたのは、娘が生まれて10ヶ月目のことだった。

高校卒業後に両親が離婚。自身も一度目の結婚が長く続かなかった経験があるせいか、「このままでは取り返しのつかないことになる」と危機を察知。人生初の子育てを前に、この先一層協力しあっていく必要があるにもかかわらず、徐々に妻の僕に対する信頼が薄れていくように感じられたのだ。

なぜ、こうなってしまったのか。

甘く見ていた「夫婦の対話」

生涯の仕事という意識で、やりがいを持って地方創生の現場でコンサルティングをしていた僕と、独立して人財育成の仕事をしていた妻。結婚前から「いつか一緒に仕事がしたいね」と言い合うほど仕事好きなふたりが、人の親になると同時に「家庭と仕事の両立の難しさ」に直面したこと…これが原因と言えば、そうかもしれない。

しかし、問題の根本はそこじゃない。

小さな命を育んでいく"育児"という大仕事を前に、どのように夫婦で協力し合っていくか。この先の働き方や暮らし方についてどうしていきたいか。不安や不満を出し合ったり、理想を語り合ったり。心を通わせ合いながら、「ふたりで答えをつくっていく時間」が圧倒的に不足していたのだ。

いや、もっと正確に言うならば、僕が妻との「対話」を大切にしてこなかったこと。これに尽きると思う。

実際あの頃の僕は、仕事の忙しさを理由に妻の「話し合いたい気持ち」をなおざりにしていた。背景には「家事育児は基本、妻の仕事。夫の僕は補助的役割」という勝手な思い込みもあったと思う。

話し合ったところでどうなるというのか。
僕がメインで稼いで、君が家のことをやる。
きちんと家のことをした上で働くのは良いよ。

言葉にこそ出していなかったものの、心の奥底にはそんな気持ちが少なからずあったのだ。書いていて、昔の自分にぐーパンチをお見舞いしてやりたい。

いつになったら「一家だんらん」に踏み出せるのか

そうした中で、最初の1ヶ月こそ笑顔で赤ちゃんのお世話をしていた妻だったが、徐々に「3時間置きの授乳とおむつ替えで全然眠れない」「日中子どもと二人きりで過ごすのがプレッシャー」と、育児の大変さを口にするようになっていった。

僕も「一家団らんという夢を今度こそ実現したい」という思いがあったため、働き方を変えようと職場への交渉を試みたが、簡単には受け入れてもらえず…。朝6時台には家を出て、夜12時を回って帰宅する生活を余儀なくする中、妻の苛立ちを止めることができずにいた。


「家事・育児は私だけの仕事?」
​「私も早く外での仕事を再開したい」
「あなたにも働き方を変えて家庭にコミットしてほしい」

と、妻から具体的な要望が出てくるようになったのは、産後半年を過ぎた頃だったろうか。

「週に2回は19時に帰宅して、僕も一緒にやっていくから」と約束。

しかし、早く帰宅できても仕事のことで頭がいっぱい…。

心ここにあらずという中で、沐浴やオムツ替え、寝かしつけ、ゴミ捨てなど、家事・育児のほんの一部を片手間でやっている僕に、妻の不信感が募っていくのがわかった。

仕事を再開したいという思いだけでなく、誰にも邪魔されることなく眠ったり、温かいごはんを食べたり、お風呂にゆっくり入ったり…今までにできていた「普通の生活を少しずつでも取り戻したい」という思いに寄り添えず、「この人と一緒に生きていける気がしない」とまで思わせてしまっていたのだ。

何より妻を落胆させたのは、プロポーズの時に語った僕自身の夢「一家団らん」に向けて具体的なアクションを起こせずにいることだった。もうすでに「わたしたちの夢」になっているのに、力を合わせて踏み出すことができない。

浮気や借金などの決定的な何かがあったわけではないが、妻にしてみれば、十分な裏切りに等しかったのだ。

「きつい」「もういいよ」の一言で始まった、30分の夫婦会議。

今思えば、僕自身にも余裕がなかったのだと思う。

子どもが生まれて父親になっても、職場での責任ある立場は変わらない。
今まで以上の成果が求められる中、家事・育児に対する責任も求められる。
まさに板挟み状態という中、仕事でもミスが目立ちはじめる。

(ラグビーで散々鍛えてきたのになぁ)そんな心の声がかき消されるほどに、僕も疲弊しきっていた。


そうした中で決まった東京出張。

妻に車で福岡空港まで送ってもらう中、「家庭も仕事も両方大切にしたいのに、出来ない。頑張っているのに、きつい。でも仕事(収入)を手放すわけにはいかない…」と、弱音を吐き出し号泣してしまったのだ。

しかし、それを聞いた妻からは「もういいよ」という思いがけない一言が。

そして「本当に一家団らんが夢なら、それを実現しよう。家庭を大切にした働き方に変えよう。そのために収入が下がっても構わない。何より子どもが小さい内は2人で半分ずつアクセルを踏んで稼げば良い。私だって働きたいの、知っているでしょう?」という言葉が続いたのだった。

自分たちが望む生き方に向けて働き方を変えていこう。ふたりだから描ける未来がある。

飛行機が離陸する頃には、すっかり肩の荷が降り、離職する決心が固まっていた。

〈あとがき〉

まるで懺悔のような記事に目を通していただき、ありがとうございます。
僕たちの場合は、思えばあの車の中での30分が、産後初となる「夫婦会議」だったのかもしれません。

「一家団らん」という共通のビジョンを確認しあった時間と言いますか。で、そのために何をどうする?みたいな。

結果的に、わが家においては僕自身の働き方をどうにか変える必要がありました。職場にはあの手この手で交渉し尽くしていたので、結論を出すのは早かった。決して離職を勧めているわけではありません(笑)が、「働き方」は自分で思う以上に選択することも創り出すこともできるなぁと振り返っています。もちろん路頭に迷わないための策は必要ですが。

その最初の一歩としてお勧めしたいのが、「夫婦会議」。
まずは一人で抱え込まずに、夫婦で共有することからはじめてみてもらえたらなと思います。

一緒に生きていくことを決めたおふたりです。互いに協力し合えることがきっとあるはず。ネガティブな感情もひっくるめて共有し、諦めずに「対話」を続けていくことで、より良い夫婦関係や、より良い家庭環境がつくられていくことを、身を以て実感する日々です。

「夫婦会議」をはじめてみませんか?

「夫婦会議」とは、人生を共に創ると決めたパートナーと、より良い未来に向けて「対話」を重ね、行動を決める場のことです。

自分一人の意見を通すため・相手を変えるために行うものではありません。わが子にとって、夫婦・家族にとって「より良い家庭環境」を創り出していくことを目的に行います。家庭は社会の最小単位であり、子どもたちが最初に触れる社会そのもの。大切なことを前向きな気持ちで対話していける夫婦であるために、新習慣として取り入れてみませんか?

ふたりのペースで「夫婦会議」をはじめてみる

過去の記事

おせっかい隊:長廣 遥(ながひろ よう)

東京都中野区出身。妻と娘との3人暮らし。Logista株式会社共同代表 COO。
東京工業大学大学院環境理工学創造専攻を修了後、2002年(株)リクルートに入社。営業・マネジメントを学んだ後、大分県立農業大学校及び地元加工場にて地域農業の活性化にチャレンジするもヘルニアで断念。その後イデアパートナーズ(株)にて九州エリアの地域活性コンサルティングに従事。
2013年に再婚。娘の誕生を機に「仕事と家庭の両立を巡る葛藤」に直面し、産後離婚の危機を乗り越えた末、2015年7月より妻の長廣百合子と共に
Logista株式会社を設立。未来を担う子どもたちのために産後の危機を乗り越え、より良い家庭環境を創り出していける夫婦で溢れる社会を目指し、子どもたちが最初に触れる「社会の最小単位=家庭」に重点をおいた「夫婦のパートナーシップ構築を支援する夫婦会議推進事業」を展開。
夫婦会議ツール「夫婦で産後をデザインする 世帯経営ノート」の開発、夫婦会議を体験できる「夫婦会議の始め方講座」「夫婦会議の体験講座」の開催、Webメディア「産後夫婦ナビ」の運営などを行う。

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