「35歳ぐらいで結婚して、子どもは40歳になる前に産めたらいい。その間に一度は就職して、お金をためたら大学院にも行きたい」

 

22歳。大学を卒業したての私は、正社員として就職したフィットネスクラブで働きながら、そんなことをぼんやり考えていました。

 

それから年月が経ち2006年に起業。現在は、

①子どものスクール事業(体育・チアなど運動を通じ「子どもを育てる」)
②研修講演(保護者・教育者など「育てる人を育てる」)
③情報発信(TVやラジオ、西日本新聞コラムを通じ「地域みんなで育てる」)を柱に、
福岡市で「芯のつよい子を育てる運動塾」株式会社MIKI・ファニットの代表を務めています。

 

人生は、何が起きるか本当に分かりません。あの頃描いていた未来には、こんな人生を歩む予定などなかったのに…。 

 

私の運命を変えたのは、通勤途中の「交通事故」。車にはねられ、両膝を怪我したことがきっかけでした。仕事に対する考えがふらっとしていた頃の事故。ちょうど人生の節目にあったのかもしれません。病院の先生に「これからも運動指導をしていくなら、ひとつずつ足を手術だね」と言われ、「じゃあ、しません」と即答。仕事も手術も両方ともしない。今思うと、投げやりな気持ちになっていたのかもしれせん。それを機に、入社間もない会社を辞めてしまったのです。(実は学生時代にも膝の手術をし、1年棒にふっていました。ケガした時に捻挫といわれたものの半年後に歩けなくなり、手術し、傷跡も膝に大きく残っていました。)

その後23歳で結婚。
とんとん拍子で第一子を妊娠出産し、年子の2人目も産まれるなど、慌ただしくも充実した日々…を過ごしていたはずでした。

里帰り出産から自宅にもどった、ある日の事です。

「ピンポーン」と玄関の呼び鈴がなり、ニコニコ顏で対応にでた私。ありがたい保健師さんの「産後の家庭訪問」でした。しかし、相手のたった一言で号泣してしまいます。泣いたと言っても、怖い思いをした訳でも、いじめられた訳でもありません。

 

「毎日、なにかお変わりはないですか?」

 

そんな保健師さんの何気ない言葉に、無意識に反応した結果でした。

 

「その変わらない毎日がいやなんです!!!」

 

…と、年子のふたりを抱っこしながら、わ〜んと大きな声を上げ、大粒の涙をボロボロとこぼしながら泣く私。子どもはかわいく、幸せでした。生活の全てがイヤ!と思っていた訳でもないはずでした。しかし私の口からは「社会の中で取り残されている。時計が…私だけ止まっているんです!そんな風に思う私は、ダメなお母さんなんです!」という心の叫びが溢れ出たのでした。保健師さんの一言で、張りつめていた糸がプツンと切れた瞬間でした。

 

今思えば、その頃少しおかしくなっていたのだと思います。
実家から戻ったことによる反動。育児は二人分。当然、家事も全て自分でしなければならない。
実際には夫も少しはしてくれていた…と思いますが、家事と育児の繰り返しという日々の中で、身も心もすり減らしてしまっていたのでした。

「私はそんな風に思っていたんだ…」と、この時はじめて自分の気持ちに気が付いたことを覚えています。睡眠不足な上に、自虐的。勝手に「良いお母ちゃん像」を頭の中で創りだしては、「うまくできないダメな母親」と凹む。あの頃の私は、家族にとってどんなに迷惑な母親・妻だったかと、今になって思います。

 

その後、私の話を聞いてくださった保健師さんに「お母さん、そんなに元気があるなら、ここに行きましょうよ!」と勧められたのが、高齢者ふれあいサロンでの「体操指導のボランティア」。家の近くの西新公民館で行われていたこともあり、二つ返事で引き受けることになりました。

二人の子どもを連れてのボランティア活動。当然二人とも私から離れないので、両脇に抱えたまま、足だけを動かす体操指導を行いました。足だけ…だったので、指導とはいえなかったかも(笑)でもその経験が、「再び社会に出る一歩」になったのです。ここでの活動が、今の仕事へとつながっていくきっかけになったことを思うと、あのときの保健師さんには感謝してもしきれません。また、西新公民館が近くにあったことも幸運なことでした。一つでもタイミングや条件が違っていれば、私はまた違う人生を歩んでいたかもしれないのです。(もちろんその頃の私は、のちにこれを完全に仕事して、会社組織にしていこうなどとは全く思っていませんでした…)

 

とにかく、「ゼロからのスタート」という気持ちでした。その後、ボランティア活動を経て、「健康運動指導士」という当時としてはフィットネス系の中でも厳しい合格率であった資格を一発合格でとっていくことになるのですが、(ここのあたりはまた別の機会に書きますね)それだけでは簡単に仕事に結びつかないという葛藤を経験します。

 

更に問題となるのは、「保育園」です。保育園に子どもを預けるには「仕事」がいる。でも、仕事を得るには子どもの預け先がいる。独身の時は交代勤務で夜12時まで働いていたけれど、今はそういうわけにもいかない。私には子ども達がいる。子どもが育つ中で考える事もありました。

 

ならば パートに

ならば 資格を取ってフリーに

ならば 非常勤で学校講師に

ならば 自分でサークルをつくり

ならば ボランティア団体をつくり

ならば 起業する

 

子どもの成長や家族の状況に影響を受けながら「その時々で働き方を変化させる」という生き方を選択してきた私のストーリー。
初回の記事は、自己紹介を兼ねて「専業主婦から再び仕事をはじめるところまで」を綴ってみました。今後も、そんな変遷をネタに書いていこうと思います。

私の話が、誰かの前向きなきっかけになることがあれば嬉しいです。

 

続く…

 

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過去の記事

おせっかい隊:太刀山 美樹(たちやま みき)

・株式会社MIKIファニット代表取締役 〜0歳から芯のつよい子を育てる運動塾〜
・近畿大学講師 日本健康運動指導士会福岡県理事
・教育コメンテーター なまはげ伝道師
・九州大学経済学府生

福岡県筑後市出身。福岡大学体育学部卒業。スポーツクラブに就職するも結婚を機に退職。2人の子どもを出産後、地域で子育て支援活動をスタート。NHK福岡放送局で体操のお姉さんとして10年担当。2006年に芯の強い子を育てる運動塾「MIKIファニット」をゼロから起業。2014年、米国マサチューセッツ工科大学卒業生運営のMITビジネスプランコンテストで、審査員特別賞を受賞。「お金なし、人脈なし、知識なし、“ゼロ状態”だったから、むしろなんでもチャレンジ」と体当たりでゆるくない教育を「教育界のなまはげ」講演が人気。2015年、九州大学大学院経済学府(QBS)に入学。

《PR》FBS「めんたいワイド」教育コメンテーターや、FMコミュニティ−天神パーソナリティー、西日本新聞にて12月より健康コーナーを執筆予定。2015年10月西日本新聞出版社より新刊「前傾姿勢でいいじゃない〜子育て・起業・いま女子大生〜」 

◼︎太刀山美樹オフィシャルサイト
◼︎株式会社MIKIファニット