夫婦・家族としての道を選択したとき、何が見えてくるのだろう。
結婚、妊娠、出産、育児。「私」だけでなく「私たち」だから描ける、「今」そして「未来」とは?

記念すべき第1回目は、福岡県那珂川町にお住まいの阿南家を取材。
「結婚を決めた理由」、1歳になる娘の芽依ちゃんが生まれてからの「働き方と暮らし方」、「夫婦のパートナーシップ」について、ご夫妻それぞれに話を伺った。

結婚・育児・仕事…それぞれにとっての「節目」

「今更就職するかどうか…実はかなり迷いました」と話すのは、夫の善久(よしひさ)さん。

もともと起業志向が強く、大学卒業後は就職をせずに独立。"食えない時期"を乗り越えて、約6年間、個人で人材育成プランの法人営業やモバイル販売などの仕事を請け負って生計を立ててきた。それが、30歳を過ぎたところで心機一転。現在は、旅行情報を扱う会社で営業として働いている。


何が理由だったのか。
 

聞くと、「結婚、子どもが生まれたことも要因の一つですね。でも一番は、本格的に起業をする前に一度は会社組織の中で働く経験をしておきたいと思うようになったこと、あとは、収入の柱だったモバイルの販売単価が大幅に下がったことが大きいです」と率直に話してくれた。一児の父となったこと、そして30代を迎えたことを「一つの節目」と捉え、そこから更に自分の実力を伸ばすために新しい環境で挑戦することを決めたのだ。

対する妻の理代(みちよ)さんは、大学卒業と同時に就職。多くの大学生の成長とキャンパスライフをサポートする仕事に就いた。

教科書や文具の販売、店舗運営、講座の企画など、多岐にわたる業務に携わる日々。思っていた以上に忙しく、やり甲斐も大きい。しかし、経験を積むごとに「もっと多様な人と関わりながら、対外的な仕事にチャレンジしてみたい」そんな気持ちも芽生えてきた。その一方で、夜9時までの勤務が当たり前という職場の中で、結婚や育児などのライフイベントと並行しながら働き続ける未来が想像できなかったのも事実。

「家庭を持ちながらも"仕事"を通じて一生社会と関わっていくためには…」
そうしたことを考える中、善久さんからのプロポーズが重なり、7年目で退職することを決めた。

 

「どこでも生きていけそうな人でしょう?」と、善久さんのことを嬉しそうに話してくれた理代さんだが、将来を見据えてタイミングを逃さずに決断した彼女もまた、「自分の人生を生きていくことができる人」なのだと思う。

一緒に生きていく。「人生のパートナー」を決めた瞬間

それぞれに意欲的に仕事に取り組んできた独身時代。二人は、お互いのどんなところに惹かれあい、結婚を決めたのだろう。

 

「車のバッテリー対応が抜群だったんですよ」と理代さん。
え!?もう少し詳しく・・・(笑)

 

「ドライブデート中に、車のバッテリーが上がっちゃって。JAFを呼ばないとな…と思っていたら、彼がいきなり走行中の車を停めて"すみません、バッテリーを貸してもらえませんか"って声をかけはじめたんです。その一連の流れを見て、何でも自分でやろうとするのではなく、上手に他力も取り入れながら一歩を進めていける人、対応力がある人だなって思ったんです」

そう言って、善久さんさえ知らなかった本音を聞かせてくれた理代さん。つたい歩きで寄ってきた芽依ちゃんを抱っこしながら続ける。

「実家が商売をしていまして。お茶の製造販売なんですけど。とにかく同じことをしている日が無い環境で育ってきたせいか、"変化"を大切に思う気持ちが強いんですよね。それで、結婚する相手にも変化への対応力を求めていたんだと思います」

 

仕事の愚痴を言わない。
やりたいことをやり切っている。
一緒にいたら今までにない価値観が得られる。

 

善久さんの魅力にたくさん触れてきた理代さんだが、最後の最後で決め手になったのは、『変化を受け入れ、プラスに変えていくことができる』というある種の生きる力。自分の人生の指針でもある、変化への対応力だった。

 

一方の善久さんは、どうだったのか。

「場の中心になるような明るさに惹かれたんですよね。で、猛アタックの末に付き合いはじめたものの、3ヶ月後には振られてしまって(笑)そこからまた"ゴリ押し"して戻ってきてもらった…という経緯があります。結婚を決めたのは、彼女からの『今後どうするの?』という一言がきっかけですね。5年間付き合ってきて、長く引っ張るわけにもいかないなという思いと、二度と手放してはいけないという思いが強くなって。それで『結婚しましょう』と伝えました」

人生のパートナーには、お互いが大切にしている価値観を理解し合える人を選びたいと思っていたと言う善久さん。その背景を聞く中で、再び「変化」という言葉に出合った。

「両親ともに公務員家系で、"安定"を一番に考える人が多い環境で育ちました。そのおかげで、自分も安定の大切さやありがたさは理解していて。ただ"真の安定"を考えた時に、同じことを続けていれば良いかというとそうじゃなくて。どちらかというと、『変化に対応し続けることこそ大切』だな、と。その意味で、変化を求め・楽しむことができる彼女となら、良いパートナーになれると思ったんですよね」。

それぞれのストーリーが『変化』というキーワードを通じて重なり合った時、"この先も一緒に歩んでいける"と二人は確信した。

これは修行?里帰り出産が教えてくれたこと

そんな二人の間に新しい命の知らせが舞い込んだのは、入籍から1ヶ月後のこと。新婚気分を味わう間はなかったが、喜びの中で、善久さんは今まで以上に仕事に励み、理代さんは専業主婦として家庭の仕事を一手に引き受けた。

 

期間限定の「二人だけ」の生活。自由で楽しいことが多かった分、里帰り出産での10数年ぶりの実家暮らしにギャップを感じずにはいられなかったと理代さんは言う。

「見渡す限り田んぼと山。はじめの数日こそ癒されましたが、時間が経つごとに『何もやることが無い』という虚しさに変わっていって。あとは、田舎特有のプライバシーの無さと言いますか。出産予定日を過ぎてもなかなか生まれない中で、『生まれたー?』と近所の方が様子を見に来られるんですよ。気にかけてもらえるのは有難いんですが、実はかなりのプレッシャーでした」
 

芽依ちゃんが生まれてからも、小さなストレスが重なっていく。


「産後1ヶ月間は実家にいれば身体も心も休めながら育児に専念できると思っていたんですが、それが意外と難しかった。両親に感謝する気持ちがある一方で、毎朝5時には起きてお店の準備をはじめたり、6時には近所の方が出入りして賑やかな会話がはじまったりする環境が落ち着かなくて。慣れない育児に疲れていたこと、母乳育児がうまくいかなかったことなども重なったとは思いますが、ライフスタイルの違いには本当に悩みました」

 

当たり前のことだが、子どもが生まれると自分の思い通りにいかないことも増えてくる。大変なこともあると分かっていても、その予想を簡単に超えてくるのが育児だ。里帰り出産はそんなもどかしい日々に慣れるための時間。理代さんが「母親」になっていくために必要なものだったのかもしれない。

仲良し夫婦の危機「喋ってよ!!!」事件の真相

晴れて修行?を終え芽依ちゃんと帰宅した理代さん。親子3人での暮らしが始まる中、夫の善久さんはどんなことを考えていたのか。

「子どもが生まれる前から"産後の危機"に関する情報は頭にあって。その分、自分にできることはやっていこうという思いは強かったですね」

仕事から帰ったらお風呂に入れたりオムツを替えたり。「父親として」積極的に芽依ちゃんのお世話をしてきた善久さん。しかし生後3ヶ月が経ったある時、理代さんから思わぬことを言われてしまう。


「喋ってよ!!!会話できるの、あなただけなんだから!」


仕事の疲れから帰宅後は無口どころか無言になることが多かった。でもまさか、そこでストレスを与えていたなんて。父親としてだけでなく「夫として」の役割があることに気がつかされた瞬間だった。

 

多くの母親が経験することだが、産後数ヶ月は外出を控え、家で育児をしながら過ごす日々が続く。赤ちゃんは泣くのが仕事であって、こちらが話しかけることはあっても、「会話として成立するような応答」は期待できない。そうした中で、「今日も誰とも話せなかった」という虚無感に襲われる人は多い。社交的でバイタリティに満ちた理代さんもまた、そうした母親の一人だった。

「自分という存在が…無かったんです。親子で参加する地域の集まりの場でも、求められるのは娘の紹介だけ。私自身の紹介をする機会は無く『阿南芽依です。3ヶ月です。首がすわりました』それで終わり。仕事を通じて"創造する側"にいたはずの自分が、母親になった途端に"消費者"としての扱いしか受けなくなった。衝撃的でした」

「私という主語がない」そんな現実を突きつけられた理代さん。善久さんへの一言は、やっとの思いで絞り出された"心の叫び"だったのだろう。
 

この一件を機に、善久さんは意識的に理代さんに話しかけるようになった。また、理代さんが安心して一人で出かけられるように、芽依ちゃんとの留守番を買って出るようにもなった。

「生後4ヶ月経った頃のこと。はじめて娘と留守番をした時には『こんなに育児って大変なのか!』と驚きました。妻が髪を切って帰ってくるまでの"たったの3時間"が異様に長く感じられて。ずっと泣いているんですよ。1時間半くらい。あまりに泣き止まなかったので、具合が悪いんじゃないかとか、虐待する人たちの心境やら、もう本当にいろんな感情が湧いてきました」

"魔の3時間"と真顔で振り返る善久さん。どうやら軽くトラウマになっているらしい。しかし、こうした経験を経て「一人でもできるようになった」と話す姿は、どこか誇らしげで、嬉しそうだ。

「妻の手を借りずに育児も家事もできた方がいざという時にも対応できます。周りの新米パパたちにも、一度は全部一人でやってみる!という経験をオススメしています」

別々の人生。でも、一人に任せきりにしない

「夫婦だけど他人。別々の人生を歩んでいる中で、"寄り添って生きていこう"と決めた」と夫妻は言う。その思いが、芽依ちゃんが生まれる前に二人でつくった「未来予想図」と「阿南Family家訓」にも表れている。

 

「親になったことを言い訳にせず、チャレンジし続ける夫婦でいたい」
「やりたいことをやって、楽しんでいる姿を子どもに見せたい」
「大人になるのが楽しみ!と思ってもらえる親になりたい」

結婚してすぐの時から、「どんな夫婦でいたいか、どんな子育てがしたいか、どんな人生にしたいか」ということについて話し合ってきた。お互いの理想を確認しあいながら進んでいく二人の姿は、見ていて微笑ましい。

この未来予想図にある通りに、理代さんはこの春から新しい職場となる大学の就職課で働きはじめた。それにあわせて、芽依ちゃんも保育園でのお友達との生活がスタートしている。

「あれ以来、専業主婦だからといって妻だけに家の全てを任せてはいけないと思うようになりました。自分が働いているから家事・育児はしなくて良い、というものじゃない。妻もまた仕事に出るようになりましたから、なおさら二人で共有していかなきゃですね」と善久さん。

「変化」というキーワードと共に歩んできた阿南ファミリー。

この先も、互いの仕事の状況や子どもの成長と共に、さまざまな変化をプラスに変えながら進んでいくのだろう。善久さんと理代さん、そして芽依ちゃんでつくる未来が、今よりもっと素敵に輝いていることだけは「不変」だと思える。

「夫婦会議」を始めてみませんか?

「夫婦会議」とは、人生を共に創ると決めたパートナーと、より良い未来に向けて「対話」を重ね、行動を決める場のことです。

自分一人の意見を通すため・相手を変えるために行うものではありません。特に育児期には、わが子にとって、夫婦・家族にとって「より良い家庭環境」を創り出していくことを目的に行います。家庭は社会の最小単位であり、子どもたちが最初に触れる社会そのもの。大切なことを前向きな気持ちで対話していける夫婦であるために、新習慣として取り入れてみませんか?

ふたりのペースで「夫婦会議」をはじめてみる