夫婦・家族としての道を選択したとき、何が見えてくるのだろう。
結婚、妊娠、出産、育児。「私」だけでなく「私たち」だから描ける、「今」そして「未来」とは?

第2回目は、福岡県福岡市にお住まいの矢野家を取材。「結婚を決めた理由」、1歳8ヶ月になる息子の庵(いおり)くんが生まれてからの「働き方と暮らし方」、「夫婦のパートナーシップ」について、ご夫妻それぞれに話を伺った。

お前は結婚する気があるとか!?

「女性スタッフの間ではちょっとしたアイドルでした。イケメンー!って。私は『笑顔が可愛いなぁ』くらいにしか思っていなかったですけど(笑)」と話すのは妻の昌子(まさこ)さん。その横で、「バリバリのアパレル店長で頼もしい印象でした」と夫の裕樹(ゆうき)さんは振り返る。

同じ大学を卒業し、同じアパレルの会社に勤めながらも、専攻や担当ブランドの違いから全く接点がなかった二人。ある商業施設への出店を機に出逢い、意気投合。多くの時間を一緒に過ごす中で自然と付き合うようになった。

そんな中、偶然"娘の彼氏"を見かけた昌子さんのお父さんから「あいつは誰だ?連れてこい!」と声がかかる。二人が同棲をはじめてすぐのことだった。

「当時私は32歳で、彼が26歳。自分が彼と同じ年齢だった頃を思うと、現実味が無いなと思って。正直、結婚は考えてなかったんです。それなのに…」昌子さんの気持ちを知ってか知らずか、お父さんは裕樹さんに会うなりドスの利いた博多弁でズバリ聞いてきた。


「お前は結婚する気があるとか!?」
 

裕樹さんは「は、はいっ!」と裏返った声で返事をした。

まさか脅されて結婚…?とこちらが一瞬ドキドキしてしまったが、はじめから裕樹さんの心は決まっていたという。「そりゃぁもう、怖かったですよ。でも、聞いてもらって、そこで自然とYesが出た。この人と結婚したいという自分の気持ちを再確認させてもらったんです」

しかし、お義父さんの追究はそれで終わらなかった。

義父 「年収は?」
裕樹 「200万円です!」
義父 「そんなんじゃ結婚できんぞ!?」
裕樹 「じゃぁ・・・辞めます!!!!!」

まだ社会人経験も浅かった裕樹さん。自信満々に答えた収入が、決して多くないことを知りショックを受けながらも、昌子さんとの結婚に向けてその場で退職を宣言。家族を養えるだけの仕事を探す決心をしたのだった。

その横で昌子さんも気持ちを固めていく。
「専業主婦になって、毎日ご飯をちゃんとつくってあげたい」

気がつけば10年。アパレルの仕事は楽しく、やりがいもあったが、十分に走り抜けてきたという思いもあった。「そろそろゆっくり生きたいな」…達成感とともに、昌子さんも次への一歩を踏み出すことを決めた。

「家族」という存在感

その後、裕樹さんは宣言通りに会社を退職。
結婚式の2週間前には転職を果たし、芸能プロダクションでモデル・タレントマネジメント、新規事業開発担当として働き始めた。

そしてついに結婚。ハワイでの挙式は二人にとって一生の思い出だ。

しかしそこに、裕樹さんの両親の姿はなかった。10代の中頃から家族との関係がうまくいかず、いろいろな事情があって20歳で家出をして以来、すっかり疎遠になっていたのだ。

 

そんな裕樹さんを支えるべく、昌子さんも専業主婦としての生活をスタートさせる。

栄養の事を考えながら食事をつくる日々。イメージ通りの生活。楽しくて、幸せな時間が流れていく…が、「ゆったりとした生活」を快適だと思えたのは最初の1週間だけだった。すでに退職し、家事以外にやることが見いだせない中、裕樹さんが家を空けている時間を持て余すようになったのだ。

「やっぱり仕事をしよう」

もともと精力的に働いてきた昌子さん。ポッカリと空いた時間を埋めるかのように、パートで仕事をするようになった。

そうした中で、裕樹さんもまた一層仕事に打ち込むようになり、入社から3年ほどで取締役に抜擢される。"仕事に時間を惜しまない"スタイルの裕樹さんにとって、願っても無いチャンス!と思いきや、ここで裕樹さんは思わぬことを口にする。

「将来子どもが生まれたら、1年間の育児休業を取りたいんですが。それでも良いですか?」

実はこの頃から、裕樹さんの中で「家族」に対する価値観が変わりはじめていた。昌子さんとの時間、そして、そう遠くない未来に授かるであろう、子どもとの時間を大切にしたい。

「家族は、大切」

結婚を機に家族への思いが強まる中で、仕事に費やす時間や、普段の働き方を気にかけるようになったのだ。

ラブラブ「だった」んですけどね…

そんな二人の間に子どもが生まれたのは結婚から5年後のこと。

「一家が大いに繁栄する」という意味を持つ「庵(いおり)」という名が付けられ、昌子さんの計らいもあって、疎遠だった裕樹さん側の両親とも徐々に連絡を取るようにもなった。

 

全ては順調…のはずだったが、夫婦関係は一転。

 

「付き合っている時から夫婦二人でいる間までは、ラブラブだったんですけどね…」と昌子さん。なんと、裕樹さんが育休を取ってからというもの、夫婦喧嘩が激増したのだと言う。

聞けば、裕樹さんの専門は「子どもと遊ぶこと」。つまりそれ以外の子どものお世話や、普段の家事は、育休前と変わらず昌子さんが一手に引き受けてきたらしい。

小さな命に対する責任感や、慣れない子育てへの疲労感。そこに、電気の付けっぱなし、ドアの開けっぱなし、靴下の脱ぎっぱなし、積み上がった書籍の整理など、今までであれば気にならなかったような"裕樹さんの癖"も積み重なってくる。

「ホルモンバランスの乱れが原因だったのかな…とか、相手に期待しすぎていたのかな…とも思うんですけど。あの頃は本当に嫌で。少しは家のこともやってくれていいのに!と、イライラしていました」

子どもにとっては良いパパに違いない。しかし当時の昌子さんの目には、子どもと遊んでばかりで家事・育児をしない夫…むしろ、余計な仕事を増やす夫として映っていたのかもしれない。

一方で、裕樹さんにも言い分はある。

土日にかかわらず、平日も積極的に庵くんと遊ぶ時間をつくってきたのは、「昌子さんの息抜きに貢献できる」と考えたから。もちろん、庵くんとの時間を楽しみたい気持ちが前提だが、庵くんと二人で外に出かけることで、昌子さんも少しは自由に過ごせるだろうという思いがあったのだ。

「実際には僕たちがいない間に溜まっている家事を進めたりして、休まらない時間を過ごすことが多かったんでしょうね。男側の僕の気遣いが足りないところはあったと思うんです」と裕樹さん。

 

その横で昌子さんは「今となっては、庵くんと遊んでくれること、働いてくれること、自分の両親を大切にしてくれることに感謝しています」と、にっこり!

 

裕樹さんの専門は、変わらず「子どもと遊ぶこと」だが、庵くんの成長と共にその役割も重要度が増してきているのだろう。男親だからできる遊び方、男同士だから楽しめる遊び…そんな場面が増えていくのかもしれない。昌子さんの笑顔には、違いを認め理解し合うことを諦めなかった人だけが持つ力強さ、そして裕樹さんへの信頼感が溢れていた。

 

多発する「事件」と夫婦の課題

そんな昌子さんと裕樹さんにも、流石に笑えないことがある。それは、庵くんに生傷が絶えないことだ。「コーヒーポット事件」「ファスナー事件」「古着屋什器事件」「エスカレーター事件」「ハワイ事件」など、どれを聞いても痛々しい。


例えば「コーヒーポット事件」は、よく晴れた気持ちの良い朝に起きた。

 

洗濯物を干すために、リビングで仕事をしていた裕樹さんに「庵くんを見ていてね」と声をかけた昌子さん。直後に「ギャーーー!!!!!」という物凄い叫び声が響き、慌てて様子を見に行くと、庵くんがコーヒーポットをひっくり返していた。胸部から下半身に熱湯がかかり、大火傷。急いで冷やすなどしたが、10日間もの間入院することになったのだ。

 

「手の届くところにポットなんて…。どうしてちゃんと見ていてくれなかったんだろう。お願いするんじゃなかった」さまざまな感情が浮かんでは消えていく。


昌子さんは、ショックのあまり裕樹さんを責める気にもなれなかった。
裕樹さんもまた、自分の不注意で子どもを危険に晒してしまったことを心底悔いた。
同時に、親としての責任と恐怖を感じていた。

 

こうした出来事をきっかけに「家庭における優先順位が変わった」と裕樹さんは言う。庵くんと昌子さんが最優先。家族と過ごしている時間の中では、仕事以上に優先すべきことがあると思えるようになったのだ。

 

しかし「事件」は終わらない…。

この後も、エスカレーターで転んで額から出血したり(エスカレーター事件)、古着屋にある什器の尖った角で頭にケガを負ったり(古着屋什器事件)するなど、頻繁に病院に連れて行くことが続いた。いずれも、裕樹さんが庵くんの側にいた時に起きた事件である。

裕樹 「せがれが暴走した結果なんですけどね…」
昌子 「野放しにしちゃダメ!遊ばせる場所を考えないと」

どんなに気をつけていても怪我をしてしまうことはある。それでも、大怪我だけは避けたいもの。わんぱく盛りの庵くんから自由を奪わない程度に危機管理をすることの難しさを感じるエピソードだった。

 

それにしても、矢野夫妻は「夫婦仲」をどうやって保ってきたのだろう。

家事・育児をめぐる考え方の違いや、不注意による子どもの怪我が多発する中で、一方的に相手を責めたり、不満を溜め込んだりしながら不仲に陥ることがあってもおかしくない気がするのだが…。

一緒に乗り越えてきたベースがある

鍵は庵くんが生まれる前にあった。

結婚して3年が経ったころ、昌子さんは第一子を妊娠。二人にとって待望の赤ちゃん。日増しに膨らんでいくお腹と共に、幸せな日々を送っていた。

しかし、妊娠6ヶ月目にして突然の破水。急いで近くの産婦人科に向かったが、その場では手に負えず、すぐさま大学病院に搬送された。

 

「羊水がありません。感染症の可能性もあります…」
医者の言葉が頭に入ってこない。

「奥さんと赤ちゃん、どちらの命を優先するか決めてください」
その瞬間、裕樹さんは事態を理解した。

 

つい数日前にも子どもの名前やライフプランを考えていた。そうした中で突きつけられた命の選択。
悩んでいる暇などなかった。妻が、大切だった。

 

そして臨んだ予定外の出産。まだ肺も形成されていない我が子を産む辛さは筆舌に尽くしがたい。生きられないと分かって、産むのだ。それにも関わらず、赤ちゃんは心臓が動いている状態で産まれてきてくれた。奇跡だった。しかしその数時間後…赤ちゃんは静かに息をひきとった。

出生届けを出したその足で死亡届を出したこと。お葬式をしたこと。
一つひとつが鮮明に思い出される。本当に、本当に辛かった。

昌子さんは、外に出ることも人と関わることもまともにできなくるほど、気力を失った。

 

そこから再び前を向くまでに1年。


「夫に…すごく支えてもらったんです」
声を詰まらせながら、話を聞かせてくださった昌子さん。

辛く、苦しい時間の中で培われた二人の強固な信頼関係が、今に活きている。

「プレッシャー0(ゼロ)の家族」でいよう

苦難を乗り越え、第二子となる庵くんを授かった矢野夫妻。庵くんの出産は順調に進んだかと思いきや、同様に"ひやり"とする場面があったという。

「5か月目で出血して…病院からは、破水したら諦めてくださいと言われてしまったんです」

2年前の出来事がフラッシュバックし、絶望しかけた。しかしそこから1ヶ月間の入院を経て、無事に退院することができた。

昌子さんは、産むその時までずっと恐怖を抱えながら、十月十日を過ごし、やっとの思いで庵くんに逢うことができたのだ。裕樹さんもまた、あんなに怖かった昌子さんのお父さんと抱き合って喜んだ。

 

裕樹さんが会社を辞めたのは、それから1年後のこと。育休を終えて、わずか2時間後のことだった。

 

「単純な話なんです。職場復帰に向けた面談の中で、これでは"家族と過ごす時間が無くなる"と感じたんです。自分が大切にしたいことは分かっていた。だったらフリーで働こうって」

家族のために生きていたい。
自分のためにも、家族と一緒に過ごす時間を大切にしたい。そう思ったのだ。

庵くんが生まれてからというもの、時間に対する価値観が変わった裕樹さん。家族といる時間が何より楽しく、子どもの成長を実感できることが掛け替えのない幸せだと言う。

「せがれの成長スピード、成長率には負けたくないですね。初心者・挑戦者になることを恐れない人間性を見せていきたい」…その言葉を体現するかのように、裕樹さんは今、これまでの経験と新たな学びを掛け合わせながら、「御用聞き」としてスタートアップの経営課題の整理・解決を行う仕事や地域コミュニティのブランディングを行う仕事を行っている。

思いのままに生きていくことが難しいと感じる人は多い。

経済的・健康的理由からそれが叶わない人もいる。
その一方で、何らかの重圧や固定概念に縛られ、気持ちの面で動き出せない人もいる。

でもそこに「家族」がいたら。
一人では乗り越えられなかったことを、一緒に乗り越えていこうとしてくれる存在がいたら。

今よりももっと「思いのままに」生きていくことができるようになるのかもしれない。

「プレッシャー0(ゼロ)の家族を築いていきたいです。『〜であるべき』や『〜でなければならない』といったプレッシャーの無い間柄。家族それぞれが、自然体でいられる。自身の理想とする未来についてちゃんと話し合える。そんな関係でいたい。そのためにも、パパやママの前に一人の人間であることを忘れずに付き合っていきたい」

 

お互いに我慢しない。でも、喧嘩は次の日に持ち越さない。
そんなスタンスでぶつかり合っては仲直りを繰り返してきた矢野夫妻。

この先も、家族を足かせに感じたり煩わしく思ったりすることが無いかというと、それは誰にもわからない。

それでも矢野家には、予測不能な困難を乗り越えていける絆がある。家族を一つに繋ぎ合わせてくれる庵くんと、ちょっとやそっとのことでは動じない裕樹さんと昌子さん。夫婦・家族という存在が生きる力になる。そんなことを感じさせてもらった取材であった。

おまけ

「帰りが遅くなると食事と一緒に手紙が置いてあるんです」と裕樹さん。

取材の日の夜も、ポテトチップスと昌子さんからの手紙がダイニングにあった。

ラブラブじゃないですか!

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